うつ病闘病記


変化

 人間が運命によって、不幸になったり不遇になったり素晴らしい人間になれなかったりするのではなく、運命以外の自分自身の力で、なりたい自分になれるということを、突如ひらめいたら、心がすーっと軽くなりました。そうすると、今までループしていた悩みが、絡まった糸が解けるように、解けていきました。

 うつ病闘病記2にこう書きました。


僕は仕事をしても長続きしない。

仕事をするのは不可能だ。

今、仕事をしなくても生活できるのは、両親が養ってくれているおかげだ。

しかし、両親がいなくなったら、誰も養ってくれない。

となると、もし、両親がいなくなったら?

僕は死ぬしかなくなるんじゃないか。


 それまでの僕はこのような思考回路だったのです。ですが、この思考回路の誤りに、新しい考えをひらめいた後の僕は、すぐに気がつけるようになったのです。そして、上記のような考えが頭に浮かんできたら、その誤りを自分に指摘し、より正しい考えを自分に言い聞かせるようにしました。不条理な思考を事実や真実や論理的なものにしていったというわけですね。具体的には、以下のようにしました。


僕は仕事をしても長続きしない。

今までは確かにそうだった。しかし、それは過去のことで、過去のことから未来のことを確実に予想することは不可能だから、続く仕事もあるかもしれない。その可能性があるのならば、挑戦してみた方がいい。


 このように、自分の頭の中に思い浮かぶ、うつ病からくる不条理な思考を、より論理的で正常なものに変化させ続けていったのです。僕は、ひらめいて以降、うつ病からくる不条理な思考に対して、このようなことを何度も何度も繰り返していったのでした。









うつ病への対抗策を獲得♪

 うつ病になると、自責感罪悪感や後悔の念に苛まれ続けますよね。その時に自分が生み出した、自分を責め続ける論理を、責め続けられながらも、なんとか立ち止まって、検証してみるんですね。そうするとですね。うつ病からくる、自責感とか罪悪感とかは、100%不条理なものだったことに気づいたんですよ。

 「自分が生きていては、いろんな人に迷惑がかかる」というのも、おかしな話ですもんね。たとえば、「うつ病で働けもしない自分が生きていたら、家族に負担がかかってしまう。家族に迷惑をかけているんだ。だから死んだ方がいい」というのは、途中までは正しいんですよね。事実、家族に負担はかかっています。ただ、それ以降は不条理な考え方なのです。

 家族が負担だと思っているかどうかといえば、家族は負担には思ってないかもしれません。というか、普通の家族ならば、負担には思っていないに違いありません。となると、迷惑にも思ってないわけです。だったら、死ぬ必要もなくなりますよね?

 このように、一つ一つの考えを検証し、不条理非現実的な部分を論理的な思考に修正することによって、うつ病の自責感や罪悪感と、僕は戦うようになりました。





















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