1.潔癖症(3)・・・自己流治療活動


私はティッシュペーパー、足を使うことで汚い物に触れないようにして、手が汚れることを回避してきました。この方法はそれまでの生活よりも、随分快適な生活を私にもたらしてくれました。ですが、この生活を続けていると普通に生活できない自分が、情けなくなってきてしまいます。そこで「潔癖症のようなもの(不潔恐怖洗浄強迫)」を治すための模索を始めるようになりました。



どうして汚いと思い込んでいるんだろう?

 この「潔癖症のようなもの」を治すにあたって、考える必要があるのは、こういうことでした。「他の人が汚いとは思わない物なのに、どうして僕は汚いと思うんだろう?」ということです。自分が思い込む理由が分かれば、思い込まないようにすることも、可能だと思われたからです。ですが、あれこれ考えても、「はて? なんでだろう??」という感じで、一向に分かりません。まあ馬鹿ですから。ですが馬鹿は馬鹿なりに考えるものです。今度はこう考えました。


「僕は自分の手が汚れるのは嫌いだ」

「だから、自分が汚いと思う物に触ったら、手を洗う」

「でも本当は汚くない物に触っても、
 汚いと思い込んでる物だと手を洗う」

「ということは、実際に手が汚れてなくても手を洗うわけだ」

「だとしたら、実際に手が汚れてないにも関わらず手を洗うのは、
 手が汚れたと思い込んでいるわけだ」

「となると、手は本当は汚れてないんだよなー」

「だから、本来は手を洗う必要はない」

「でも、洗っちゃう」

「それはなぜだろう?」

やっぱり分かりません。

 いくら考えても分かりませんでした。そういえば、当時は精神科に強い偏見を持っていた頃でした。そして、これが精神科の治療対象であることも知りませんでした。また、親に頼ることもできません。うちの親はこの手のことには無関心ですし、変な子と思っていたようです。頼る者はなし。自分で考え解決するしかないわけです。「さてどうしたものか・・・」と私は考えましたが、もう限界。壊れてしまいました。




壊れた結果は・・・

「もうどうでもいいやー! ふはははー!」と、ドアノブを握り締めてドアを開け、「もう汚れたっていい!」とばかりに汚い物を触りまくる始末。しばらくして落ち着いたら、猛烈に手を洗いたくなり洗いました。10分以上洗いつづけました。


 ただ、その後しばらく自分の馬鹿さ加減に浸っていたときに、パッと思いついたのです。「ちょっと待てよ? 汚れて何か不都合でもあるのか?」と。「汚れても案外大丈夫じゃないのか?」と。「それに汚いと思い込んでいる物に触るだけだから、手が本当に汚れるわけじゃない。思い込んでいるだけだ」とも。「本当に汚れるわけでもないから、手を洗う必要はない」「今度触った時は、意地でも手を洗わない。その必要はない!」

 そう思い再度触りました。そして手を洗うのをじっと我慢します。心の中で「汚くない、汚くない」と唱えながら。でも、案の定耐えられなくなって洗ってしまいました。ただ、意外と我慢できることも発見しました。その後、汚いものに触り、我慢することを繰り返します。すると、我慢できる時間がどんどん増えていきました。

 「おお!」と思い、それを何度も繰り返しましたが、我慢できる時間は数分程度。やはり洗わないと落ち着きません。「洗いたい」という気持ちが、心の中にどんどんと溢れてくるのです。そこで私は、この気持ちから目を逸らすことにしました。そういう気持ちがあることに気付かないようにするわけです。その方法は、ただぼーっとすること。または他ごとをすることです。テレビゲームやパソコンで遊びながら、洗いたいという気持ちを無視するのです。

 そうすると、不思議なもので洗わなくてもすむのです。もちろん思わず洗ってしまうこともありますが、とにもかくにも自分の心に生まれる「洗いたい」という気持ちを、無視しつづけることで、洗わなくてもすむようになっていきました。最初は短い時間でしたが、何日も何日も続けていくうちに、ほとんど洗う必要はなくなりました。ドアノブもリモコンも、他の大部分のものも触り放題!日常生活はかなり楽になりました。

 このように、私が「潔癖症のようなもの」をある程度克服できたのは、「汚いから洗いたい」という気持ちを無視し続けたからです。汚いと思いこんでいる物に触ったとしても。触った結果、自分の手が汚れてしまったと感じたとしても、洗わないままで過ごすことです。その結果、なぜかほぼ治ってしまいましたが、理由はよくわかりません。私は専門家じゃないですもん。






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