2.何度も確認、確認ばかり(1)


私は確認ばかりしてます。確認するのが好きなわけじゃないのです。
でも、やめられないのです。そんな確認の具体例を飽きるまで書いた後、
この確認強迫という症状の自己流治療法を書く予定です。



お金を確認

「この本、欲しいなぁ。でも高い・・・」
「5000円ってどういうことだ」
「あれ? 今幾ら持ってたっけ」

そう思い、お札を数え始める私。

「えーっと1枚、2枚、3枚・・・ん?」
「1枚、2枚、3枚・・・んー??」
「1枚、2枚、3枚・・・うわー」
「1枚、2枚、3枚・・・ふぅ」
「1枚、2枚、3枚・・・もう嫌だ」
「1枚、2枚、3枚・・・勘弁してくれよ」
「1枚、2枚、3枚・・・」
「これだけ数えたんだから、たぶん1万5千円で
 あってるんじゃないのかな? たぶん・・・。」

このように、何度確認してもやめられないのです。
しかも何度確認しても、確認した結果(この場合1万5千円)と
いうのが、正しいと思えないのです。
だからこそ私は何度も確認を繰り返すのですが、
やっぱり何度確認しても正しいとは思えない。
ですが私の心には限界があります。
しばらく確認しつづけていると、「もう嫌だー!」
「もうどうでもいいー!」となり、
「これだけ確認したんだから、たぶん正しいだろう!」
と無理矢理思って確認をやめるのです。

確認の結果が正しいとは思っていません。
何十回確認しても正しいとは思えないので、
「どうでもいい!」と確認を放り投げ、
「たぶん正しいだろう!」と無理に自分を、
納得させようとするのです。
これが私の困った確認行為の一つです。










銀行で確認

私は銀行にお金を預ける時、引き出す時も窓口でやってます。
カードを作るのが面倒だったからです。
ですが本当は、カードの便利さが嫌だったからです。
なぜかというと、カードで預金の引き出しが簡単に出来たら、
せっかく貯めたお金もすぐに使い果たしそうだからです。
では、窓口の場合はなぜそんなに大変なのかといいますと、
私は女性恐怖なのです。窓口には大体、お姉さんがいますよね?
私はそのお姉さんが苦手なのです。
ですからもう半年ほど、銀行には行ってません。
ね? 効果絶大でしょ?
でも、お姉さんと同じぐらい窓口でお金を下ろすことを
難しくしている問題があるのです。
それが確認という行為なのです。

銀行で何を確認するのかと言いますと、
預金する金額、引き落とす金額を記入する用紙に、
自分が書いた数字を確認するわけです。
何度見てもこれで正しいとは思えないわけです。
何度も何度も確認するわけです。
この私の様子を見て、銀行のお姉さんは「変な人〜」とか
思ってないだろうかなんて思うと、
確認に集中できなくなるわけです。
また椅子に座っているお客さんの存在も気になるわけです。
やっぱり確認に集中できません。
時間はどんどん経っていきます。
そのうちに私はこう思います。
「もうどうでもいい!」と。
そして用紙を手に取り、窓口に行き、にこやかに、
「お願いしますね」なんて言って、椅子に座るわけです。
ぐったりしながら、名前が呼ばれるのを待つのです。










銀行から帰ってきて確認

預金して銀行から帰宅したら、私は預金通帳を見ます。
残高を確認して、「おお! いっぱい貯まったー!」
と幸せを噛みしめるわけですね。
「あー、満足、満足!」
と、預金通帳を閉じた、まさにその瞬間。
私の頭は「あ、ちゃんと金額が印刷されてるかな?」となるわけです。
そして再び預金通帳を開き、確認開始!
「もしかしてボケてる?」と思いながらも確認を続けます。
最長記録1時間!




メールの宛先を確認

メールソフトのアドレス帳は便利ですね。
登録しておけば、メールアドレスを、
いちいち打ち込む必要がなくなるわけですから。
ただ、そういう便利さが、どうも胡散臭く感じてしまう・・・。
あまりに胡散臭いもんだから、アドレス帳を利用せずに、
思わず確認してしまいます。何度も何度も確認、確認。




出掛ける時は?

 家を出る時に鍵をしめる。その時にやっぱり当然のように確認をしてしまいます。家を出る時は毎回確認。やっぱり何度確認しても不安は消えないわけです。確認した直後はたぶん安心しているのでしょうが、安心した直後にすぐに不安になります。その間のスピードを計測したら、0,何秒とか0,0何秒になるかも。

 そして前にも書いたとおり、この確認は何度続けても納得できないので、これでもう大丈夫だ!なんて思えません。思えないので、しかたなく「これだけ何度も確認したのだから、たぶん大丈夫だろう!」なんて思って、確認をやめるわけです。自分で何度も行ったことでも自分がちゃんとやったっていう自信が全然持てないものなんですね〜。

 その後原付や自転車で出掛けるのですが、その最中も不安を引きずってたりして。泥棒が入るような気がして・・・。というか、もう入っちゃった!?なんて思ったりして。こりゃ気になって仕方ないってなると家に戻ってきて、再び鍵がかかってるかどうか確認します。でも、確認が終わったあとは、もうくたびれ果てちゃって。鍵を開けて家に入るわけです。家に入るときは確認しないんだけどな〜。

 家に入ると、とっても複雑な歩き方(独特なステップ)をしながら、廊下を歩き台所に入って水でも飲んだら、蛇口が汚いもんだから、蛇口に何度も水をかけまくり、なぜかガスの元栓も確認して、冷蔵庫のドアが閉まってるのかどうかも、何度もドアを押して確認するわけです。そして、自分の部屋に戻り、泥棒さんが入った可能性があるから、必死で預金通帳と印鑑を確認。何度も確認して、「う〜ん、たぶん大丈夫だろう」ってことで、確認作業を終えるわけです。でかけるだけで、これだけの作業を繰り返す! まさに生き地獄。

 でも、正直言って自分のあの独特のステップはちょっと笑える。あと、自分で鍵を開けて入ってきたんだから、泥棒に入られてるわけないのにね。泥棒さんはあれですな。僕の妄想の泥棒さんは、めちゃくちゃ凄腕だったんだな〜なんて今になって気付きました。










配達しよう!

 プロフィールを見てくれた方ならご存知でしょうが、僕は新聞配達をやっています。新聞配達というのは当然新聞を配るわけです。原付を停めて、再び原付に乗るまでどういう動作をするのかといえば、

1.原付を停める。
2.原付から降りる。
3.前籠から新聞を取る。
4.新聞を持ってポストまで走る。
5.新聞を見て、その家に配るべき新聞なのか
  どうかを調べる。
6.ポストに入れる
7.原付まで走っていき、乗る。

以上ですね。そこで、クイズ強迫神経症〜♪

この中で、確認する必要があるのは、何番でしょう? 複数でもいいですよ〜? 分かりましたか? 答えは全部ですー!!

 それでは、1から説明していきましょう。まず、原付を停めるという行為の何を確認するのかですが、僕は原付は必ず道路と水平に停めたいのです。常により水平がいいのです。でも、本当はより水平じゃあ嫌なのです。数学でいうところの水平がいいのです! 絶対的な水平がいいのです! でも、それはできないから、仕方なくより水平なうちの最も自分が満足できる状態で、妥協するわけです。

 次に2です。原付から降りる時に何を気にするのかといえば、当然、原付の水平さにゆがみが生じないように気をつけて降りる必要があるわけです。それはとっても大事なことで、そこでミスすると再びより水平にしたくなるわけですね。

 今度は3です。前籠から新聞を取る。この時に、新聞の右上にある新聞の名前が見えるのです。そうなると、確認が始まってしまいます。ただ、これは毎回確認することはありません。あくまで見えてしまったらの場合のことです。さすがに確認を10年以上続けていると、確認を避けるノウハウも身についてくるというもの。僕は、新聞を取るときには、新聞名を見ないように、あらぬ方向を見ながら新聞を取るのです。

 お次は4です。新聞を持ってポストまで走る。これは、たいしたことはありません。走ることは別に大丈夫です。僕が複雑なステップを使うのは、自分の家の廊下だけなのですから。この場合は、新聞を持っているかということが気になるわけです。もちろん持っているのですが、なにかが気になる。それで、じーっと新聞を見ながら、時々は前を見て走るわけです。新聞はお客様に届ける大事な商品ですからね。

 次は5です。これは、もうお分かりでしょう。いよいよ、新聞の名前を確認するわけです。不思議とどの家に何新聞を配るのかについては、確認しなくてもよくて、記憶しているものに強烈な自信を持っています。が、手許の新聞は確認しなければなりません。大事なものなんだから。 確認は大体20回程度です。以前、数えてみました。

 それで、いつものように、「これだけ確認したんだから、たぶん大丈夫だろうな〜」と確認した回数によって、判断するわけですね。そして、新聞を二つ折りにするわけですが、二つ折にした瞬間もうだめなのです。もう正しさが信じられなくなるのです。そこで、確認をまた始めるわけですが、僕もただただ確認するわけではありません。何度も同じことを繰り返すほど、馬鹿じゃありません。

 ここで考える必要があるのは、「なぜ二つ折にしたら、正しいと思えないのか?」ということです。それは、単純なことで新聞を二つ折にすると、もう新聞名が見えなくなるからです。見えなくなると、その時点でもうだめなのです。僕の頭の中はきっと、こうなっているのでしょう。それは、

「正しいかどうかが分かるのは、見えているものについてだけだ」、
というように。つまりは、見えなくなったらもう正しさは信じられないのです。

 ということは、僕が確認しなければならないのはただ一つ。それは、
「二つ折りにしても、新聞名は正しいままだ」ということですね。そこで、僕がとった方法は、確認し終わり新聞を折ると同時にものすごいスピードで開き再び新聞名を確認する、という方法です。そして、これが今度は新たな確認に加わります。言ってみれば墓穴を掘ったわけです。すいません、馬鹿でした(笑)。

 この確認は50回〜100回はします。ただ、そんなに時間はかかりません。開け閉めのスピード。そして、開いている時に新聞名を確認するスピードは毎日の確認とともに、驚異的なスピードに進化したからです。そんなわけで、僕は毎日、新聞を何度も何度も開けたり閉めたりして、名前を確認して、「これだけ確認したなら、たぶんもう大丈夫なんだろうな〜」とポストに入れるわけです。お客様から、苦情が来ないことを祈りながら・・・。

 今度は6ですね。ポストに入れるわけですが、ポストに入ったかどうか、それが問題だ、ということなのです。ポストに明らかに入っているのですが、それでもなお、不安なのでしょうか。まず、新聞を何度も押し込みます。次に、新聞を上下させます。ポストはガタガタいってます。今度は左右に動かして、カコンカコンって音を鳴らすわけです。そうしてから、やっとのことで原付の方へ走っていきます。

 「ポストに入ってるのが見えてるのに、どうして確認するの?」と思う方もおられるでしょうが、新聞の名前は見えてないとだめであり、ポストにちゃんと入っているかどうかは、見えててもだめなんだと言うしかありません。人間、そういう矛盾を内包した生き物なのです(笑)。

 最後に、原付まで走っていき、乗ります。これは楽なものです。ただ、ポストに新聞が入っているかどうかを確認しながら原付まで走るだけですから。時々、ポストまで戻って、新聞を引っ張り出して確認再チャレンジをすることもあるけど、でも大体そうする必要はありません。僕は、そのまま原付に乗り、次の配達先に走っていくことになります。




流れ作業で・・・

 新聞配達をする前の話。僕が21の頃だったでしょうか。家族の圧力に負けて、僕は某有名メーカーの工場に就職しました。そこはテレビを作る工場であり、プラスティックの成型、塗装から始めて、完成させるまでの全ての工程がある所だったように記憶しています。テレビには、画面側の下のほうに、色の調整などをするところがありますよね。あれには、蓋がついていますが、あの蓋をつけるのが僕の仕事でした。

 随分簡単な仕事でしょう? でも、それが僕には難しい。やっぱりしっかり付けられたのかが気になってしまう。当時の僕には、自分が確実に何かをしたという実感が全くなかったといってもいいぐらいだったような気がします。その結果、不安になり何度も確認してしまいました。

 その不安は、職場の同僚の声でさらにかきたてられます。「なんで、あんな簡単なことに、時間がかかるんだ?」というような、声が聞こえてきます。僕は焦って余計にだめになってしまいました。僕は、そこを1日で辞めました。でも、理由は他にあります。壁に、こんな貼り紙がありました。「シンナー中毒になったときの対処法」これは、やばいだろうってことで、さっさと辞めちゃいました〜!




彼女からのプレゼント

 もう強迫神経症から解放された昨今(2002年現在)、軽い対人恐怖のみになって、日々、生活が楽になっていきます。そんな僕には好きな人がいます。彼女はとても遠いところに住んでいますが、僕は彼女が好きだから、よく会いに行ったりします。彼女の街への長い道のりを電車で向かうのも、とても幸せな時間ですね。この前は、ちょうど誕生日近かったものですから、彼女に誕生日プレゼントをもらいました。彼女は、「電車か家で開けてみてね」と言ってくれました。

 そして、毎度ながら駅のホームでお別れします。特急は出発し、どんどんと彼女の住む街から離れていきます。彼女も自分の家方面へ向かう電車にちょうど乗り込んで、反対方向へ走っていきます。一緒にいる間は、いつもあれだけ一緒にくっついていたのに、時間がくれば、どんどんと離れていってしまいます。遠距離恋愛の悲しさですね。

 もし近所に住んでいる二人ならば、そんな別れもただの日常に過ぎません。またすぐに会えるのだから。しかし、遠距離恋愛の場合は、この別れはただの別れではありません。今度いつ会えるかわからないのです。どれだけお互い一緒にいたくても、事情が許さないのは、悲しい関係といえるかもしれません。

 もっとも、彼女以外の人は恋愛対象として興味がない以上、どんな形であれ、彼女と付き合えている、すべての瞬間が幸せに彩られているといってもいいのです。それはもちろん寂しい時はありますが、その寂しさはそれだけ彼女のそばにいたいという気持ちの裏返しの感情であり、彼女への思いの強さの証のようなものなのです。だから、実際は悲しい関係では全然なくって、離れていてもとてもとても幸せな関係ですね。

 そんなふうに僕が想いを寄せている彼女がくれたプレゼントです。僕の大好きなあの人がいったい僕に何を買ってくれたんだろう。プレゼントを買うときに、いろいろ考えたんだろうなあ。「何がいいだろう?」とか、「何が似合うのかな?」とか、「なにをあげたら喜んでくれるんだろう?」とか、いっぱいいっぱい考えて、楽しみながら迷いながら、時には喜んでもらえるかどうか不安になりながら、一生懸命選んだんだろうね。

 その様子を想像したら、彼女がとても愛おしく、その彼女にもらえたプレゼントはとてもとても大切なプレゼントだと余計に思えてきました。そして、無性に今すぐ彼女が選んでくれたプレゼントが見たくなるのでした。そして我慢できなくなった僕は、電車の中で鞄からプレゼントが入った袋を取り出したのでした。そして、袋の中からプレゼントを取り出して包みを開けようとしたんだけど、開けられなくなってしまいました。

「もし、なくしてしまったらどうしよう」

 もし、包みを開けてプレゼントを取り出し、喜びに浸っていたとしよう。でも、偶然その大切な大切なプレゼントを落としてしまったら。もしなくしてしまったら、僕はとてもじゃないけど、耐えられない。そんな不安がふいに頭をよぎり、そしてすぐに僕の頭を支配したのです。

 それ以降、僕の目は袋から取り出したプレゼントに釘付けになりました。そして、プレゼントを大切に元の袋の中に入れ、そしてそれを鞄の中に入れるのでした。そこで久しぶりにやってしまいました。そう確認です。鞄の中に、それはもうあからさまにプレゼントが入っているのに、入ってるって、どうしても確信できなくて、ず〜っと確認ばっかりしていました。

 まあ、それもまた、僕にとって彼女のプレゼントがそれだけ大切なことの証です。今までいろいろ経験したけども、不安が大きければ大きいほど、確認強迫も激しくなることを思い起こさせてくれた出来事でした。もちろんその後、安全な僕の部屋で彼女のプレゼントを開封しましたよ♪






|何度も確認、確認ばかり(2)|何度も確認、確認ばかり(3)|強迫神経症について|トップ|