3.変な考え(強迫観念っぽいもの)


私の頭は何がどうなっているのか知らないけども、時々変な考えが浮かんできます。ここでは、今まで経験した、その変なのを書いていきます。



予知能力

 中学生の頃はあまりいい思い出はありませんでした。特に学校生活は嫌な思い出しかありませんね。ただ、楽しい思いでもやはりあります。幸い男には好かれましたから、友達が出来ました。その友達とよく遊んでいましたね。思春期でしたから、女の子の話、思春期の男がたぶん最も興味を持つであろう話をしたり、ゲームで遊んだりと、学校以外では楽しい日々を過ごしていました。

 そんなだから、早く夏休みが来ないかな〜と、よく思っていましたね。勉強なんてやりたくなくて、ただただ遊べればそれでいいと思っていましたから。そして、とうとう待望の夏休み。遊ぶ約束をいっぱいしてましたから、毎日のように出歩いてました。友達とつるんで毎日のように遊びまくる日々。幸せな日々でした。そんな夏休みのある日。僕は畳の上でごろごろしながらテレビを見ていました。そんな僕の頭に唐突にある言葉が思い浮かんできたのです。その言葉は、こんな言葉でした。

『僕はあと1ヶ月の命だ』

 そ、そうだったのか! となると、僕が死ぬのは、1989年8月31日だ。あと1ヶ月なのか。そう思ったら、なんだか気分が暗くなりました。でも、死ぬはずないな〜。だいいち、なんであと1ヶ月で死ななきゃならないんだ? なんの根拠もないじゃないか。我ながら、ばかなことを考えてるな〜。そう思い、僕は考えることをやめ、いつものように遊びに行きました。

 それからしばらくは、平凡な日常が過ぎていくのでした。でも、日にちが経っていくにつれ、『あと1ヶ月の命』という言葉が、だんだん気になっていくのでした。そして、ついにこう思うようになりました。「僕は本当にあと1ヶ月の命なんだ。あと1ヶ月か〜。死にたくない! 死にたくないよ!」というように。でも、逃れる術はありません。甘んじて、自分の寿命を受け入れるしかありませんでした。

 僕は、それからというもの死の恐怖に震えながら過ごしました。いや、自分の死が必ず来るものと思ってましたから。ただただ、横になりぐったりとしていました。毎日、毎日横になって過ごしていました。1ヶ月後に死んでしまうと思うと、何をしても無駄になるだけだとしか思えなかったのです。毎日、恐怖に耐えながら過ごしていたのです。

 8月31日はだんだん近づいてきます。この頃になると、もうどうでもいいやって感じですね。なにも考えず、ただぼんやり横になってるだけでした。もうすぐ死ぬんだな〜って思ってるだけ。もう完全に諦めてました。そして、とうとう8月31日がきたのです。「あ〜、とうとう死ぬんだな」と思い、時間が過ぎるのをただただ待っていました。

 そして、そのまま8月31日は過ぎ去りました。言うまでもないことだけど、死にませんでした。こうなるとあっけないものです。「な〜んだ。死なないんだ」と思い、そのことはすっかり忘れたのでした。そして嫌な学校生活が始まったのでした。










トラップ

 自分が死ぬという変な考えから、解放された僕は、その後はしばらく平和に暮らしていました。そんなある日のこと。誰だったか忘れましたが、その誰かがこんなことを言っていました。「針が刺さって人体の中に入ったら、その針は体内を巡り巡って、最後には心臓に達して、人は死んじゃうんだよ」って。嘘だろ〜って、その話を聞いたときは思ったんだけど。

 でも、なぜかだんだん針が怖くなっていきました。「針が刺さったら死んじゃう!」と思っているときに、余計なことを思い出しました。そういえば、母親がなにかを縫ってた! もしあの針を母親がうっかり畳の上に落としていたら? そして、うっかり僕がその針を踏んで刺さってしまったとしたら。あ、死んじゃうじゃないか! と、こんなことを考えていたようです。

 それからです。僕は畳の上に針が落ちていないことを確認しだしました。まずは目で確認します。目で確認して、針が落ちていないってわかったら、その時にやっと畳の上に腰を下ろせるわけです。でも次第に、目で見て、針がなくても、「いや、もしかしたら針が落ちているかもしれない!」と思うようになっていきました。なにを根拠に?! そこで、畳に何度も手を触れて針がないかどうかを確認するようになっていくのでした。

 友達が遊びに来る時は、さすがにそんなことはしませんでした。友達にそんな姿を見せるのは嫌なんですよね。今だったら、思う存分見せ付けてやるんだけど、当時はいろいろ遠慮があったものですから。だからといって、確認しないことには座れません。友達の前でずっと立ちっぱなしなのも、問題があります。なので、友達が来る前に、友達と僕が座る場所だけは予め確認を済ませておいたのです。今思えば涙ぐましい努力をしてますね。

 思い返すと、「針が体内に入ったら、いずれ心臓に達して死ぬ」のだから、「うっかり踏んだら死んでしまう」ので、「手で畳をくまなく触れることで、針が落ちてないかを確認する」というのは、ものすごく不条理ですね。その全てが不条理です。いちいちその不条理さを指摘するのは、馬鹿馬鹿しいのでやめておきますけど、これほどまでに不条理なことが頭から離れないのでした。その後、しばらく経って、この変な考えは消えてしまいました。当然、考えが消えたら確認行為も消えていったのでした。










犯罪者

 原付に乗リ始めたころは、いつも原付であちこちを走ってました。楽しいんですよね。まあ、それだけじゃなくて、お金もないし、なにもすることがないから、ただの時間つぶしをしていたというのもあるんだけど。でもまあ、本屋を探して、50キロ先の所まで走っていったりと、なかなか楽しかったものです。一日中、原付に乗りっぱなしの時がよくありました。原付大好き人間なわけですね。

 そういえば、以前こんなことがありました。原付で走っていたところ、カーブを曲がった瞬間にガタッって音がしたのです。その時はそのまま気にせずに走っていきました。そして、帰宅してくつろいでいたのです。その時に、ふとガタッって音が頭によみがえりました。そして、つい、「あのガタッって音は、もしかして原付がなにかにぶつかった音じゃないのかな?」だなんて思ってしまいました。

 それからというもの、原付に乗ってる時には音に敏感になってしまいました。カーブを曲がる時にちょっとした音がすると、なにかにぶつけたんじゃないか?とか思ってしまいます。時には原付を停めて確認しちゃったりもして。直線を走ってる時にも、音がすると何かにぶつけたんじゃないかと思って、振り返ったりして。なにもないところなのに〜!駐車場などに停められている車の横を通った時は、音がするしないに関わらず、ぶつけたような気分になってしまいます。いや、ぶつけたような気がして不安になるっていう感じかな。しばらく、そんな「ぶつけたかもしれない」って言葉が、頭に浮かんできてしまいます。困ったものです。

 人の横を通るときなんか、もうきつすぎますね。横を通ると、かならずぶつかったような気がしてしまい、走りながら何度も振り返ってしまいます。時にはわざわざ原付を停めて振り返ります。そして、無事に歩いているのを確認して、ほっとしてまた走っていくわけです。僕は、この人を轢いたかもしれないっていう変な考えを打ち消す確認をしてたら、ガードレールに衝突してしまった嫌な経験があります。いや、ちょっと面白かったんですけどね。いい話の種になりましたから。










犯罪者2

 原付に乗ってるとあれこれ気になるようになってしまいました。そんなある日のこと。僕は普段から、原付に乗る時には煙草を吸うことにしてますので、時々停車して煙草を咥え、火を付けることにしてます。そして、走り出すのです。その日も、いつものように道端に原付を停めて、煙草に火をつけ、さあ、走り出すぞ〜!と思った、その時。自分の足元にサッカーボールほどの大きさのものが入っていると思われる、ビニール袋が転がっていることに気付きました。

 僕は煙草を吸いながら、その袋をまじまじと見ていました。何が入ってるのかな?って気になって仕方なかったから。と、その時。対向車線から一台の車が走ってきました。僕がちらっとその車を見た時、運転している男と目が合いました。その車は走っていき、僕もそのまま原付に乗って走っていきました。

 そのまま何の気なしに走っていたんだけど、ふと思いました。「あ、これはまずいぞ! 警察に捕まるかもしれない!!」 もし、あのビニール袋に入っているのが人の頭だったら。そして、それが警察に見付かったら。警察はあの道路で目撃車を探すに違いない。あのビニール袋のそばにいて、しかも人に見られたのは僕ぐらいだろう。となると、僕は容疑者。そして、僕はすぐに警察に捕まり、取り調べられる。や、やばい!!

 どうしよう、どうしようと、考えながら帰宅しました。いや、そんなはずはないだろう。ばかばかしいと思いながらも、どうしても、この馬鹿げたのが頭から離れません。僕は、その日は寝るまでずっと、そんなことで不安になっていました。でも、翌日はなんとか大丈夫。気にならなくなりましたね。




これは、この程度でした

 上にいろいろ書いてきたように、僕の頭というのは、変なことを考えると、何度も考えが思い浮かび、取り去ることが出来なくなり、まるでそれが本当のことかのような現実味を帯びてきます。いいことを考えても、そんなことにはならないんだけど、自分にとって怖いことを考えるともうだめです。例えば、自分の死、自分が罪を犯すこと、人を傷つけること、自分が大事にしているものが盗まれること、そして壊されたりなくなってしまったりすること、などですね。

 それらを考えてしまうと、その考えが頭の中から離れないようになり、さらにそれがまるで現実に起きてしまう、または起こってしまったかのように、僕は怯えてしまうのです。ただ、大して酷くない状態だったようで、長くて数ヶ月、短くて1日程度で収まるものばかりだったようです。その意味では助かっていたようです。そして、今ではこの類の考えは頭に上りませんし、考えたとしても、何日も頭にこびりついたままということはなくなりました。なぜか、自然に治ってしまいました。これは全然、大変な状態じゃなかったみたいですね。






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