2.何度も確認、確認ばかり(3)・・・確認強迫




いろいろ気付きました

 確認の回数を10回まで減らした僕は、いよいよ1回の確認で済ますという、目的のために行動を始めます。そして、その方法は今まで通りの方法です。それは、確認をやめるときに気合を入れることと、やめた後の不安を極力無視すること(不安になってもじっと我慢)でした。この方法で、1回の確認でなんとかなるだろうと思ったのですね。楽観的にすぎると思うかもしれませんが、私はこんな人間です。

 さて、実際にやってみました。この家は「〜新聞」だな。新聞を見ると、「〜新聞」と書いてあります。1回だけ確認した僕は。よし! ポストに入れようと思い、実際にポストに入れます。そして、すぐに引き出しました! 当たり前ですね。そんな簡単に済めば、誰も苦しみません。その後、何日も挑戦したのですが、全然成功しません。10回で済んでいた確認も、また増えたりしました。なにやら困ったことになってきました。

 そんな日々を過ごしていたのですが、ある日ガスの元栓の確認をしていた時に、こんなことがありました。ガスの元栓を閉めたものと思って、何度も確認したのに、閉まってなかったのです! こういう経験をすると確認により精がでるというもの。前よりも、ガスの元栓の確認は激しくなりました。ただ、ここで一つのことを確信しました。それはどうも、自分がやっている確認というのは、本来の意味の確認とは違うようだということです。

 確認する目的というのは、「自分の行為が、自分の意図どおりに出来ているかどうかを調べること」です。ですが、僕にとっての確認というのは、そういったものではなかったのです。それは、確認の本来の目的のためではなく、確認という行為をすること自体が目的だったのです。そして、その確認の回数によって、自分の行為が自分の意図どおりできていたと推測するためにしていたのです。

 これは、明らかに変なことです。というのも、僕のしていた確認というのは、実際に自分の行為が、自分の意図通りに出来ていなくても、確認の回数をこなしたのなら、自分の意図通りに出来たことになってしまうのです。自分の行為の正しさが、行為の結果によって決まるのではなく、確認の回数によって決められていたということです。たとえば、ガスの元栓がしまっているのかどうかに関係なく、確認の回数をこなせば、ガスの元栓はしまっていると思ってしまうのです。たとえ、元栓がしまっていなくても、そう思ってしまう。僕は、このことを確信しました。

 このことを確信し、これはひとつの大きな問題だぞ、と思った僕は、これを解決する方法を考えることにしました。










本来のものに立ち返ろう!

「自分の行為が、自分の意図通りに出来ているかどうかを調べること」

 これが僕の確認の目的なんだと思っていたのですが、実際には、僕が確認をした回数によって、自分の行為が意図どおりに出来ていたかどうかを推測していたのでした。そこでもう少し調べてみると、また別のことが分かりました。それは、確認も最初の数回は、冒頭に書いた通りの本来の意味での確認なのです。ですが、数回確認して不安だと、確認を繰り返すことに終始し、その回数によって行為の正しさを推測するようになるようです。

 確認の回数が増える原因は、僕の場合、本来の意味のものではない確認のようです。この確認は回数をこなす必要がありますから、どうしても回数が増えてしまいますね。となると、この確認をしていてはいつまでも、僕が目指す「1回で確認を済ます」ということが出来るようにはならないと思いました。

 そこで、それからは本来の意味での確認のみをすることにしたのです。確認の回数によって、自分の行為が意図どおりに出来たのかどうかを推測するなんてことは、しないようにしたわけです。1回の確認に全神経を集中し、そしてその1回の確認が終わったら、さっとやめるのです。不安は大きいです。でも、それを例によって無視します。不安がなくなるまで。でも、やっぱり確認してしまう・・・。

 でも! ここでもまた、同じように本来の意味での確認をします。もう1回同じように繰り返します。そうしているうちに、確認の回数は4、5回に減りました。もう少しで1回です。あと少し。あと少しです。










これで、どうだ!

 新聞配達の確認もとうとう、4、5回で終えられるようになりました。これぐらいだったら、もうこのままでもいいか〜って感じです。仕事も不便じゃありませんし。でも、やっぱりここまで来たら、確認1回を目指したいものです。そこで、さらに回数を減らすために、本来の意味での確認を繰り返します。確認の精度があがりそうな気がしたのです。自分の行為が意図どおりできた! 1度の確認によって、そう確信できるようになれると思ったから。

 でも、何日やってもだめでした。ほんとに難しい。いったいどうすればいいのやら。途方に暮れました。確認の回数は減らせません。それどころか、また増えたりします。何度やっても、何日やっても、確認を減らすことができませんでした。だんだん、いらいらしてきます。もうどうでもいい!って思います。確認なんかやってられるか〜!ってなりました。

 そして、やけになり新聞の名前を確認せずに、そのままポストに入れてしまいました。でもやっぱり、新聞を引っ張り出して確認してしまう。もう、どうしたらいいのか分からなくなりました。そこで、いろいろ考えてみることにしました。

 まず、僕の配達の正確性についてです。これは、凄い正確でした。というのも、あれだけ確認して間違えることなんて、考えられません。実際、僕は1年半の間で一度も配達間違いはありませんでした。確認の効果はずいぶんあったということですね。では、確認を4、5回まで減らした今はどうでしょうか? この場合もやはり配達の間違いはありません。完璧に配達できています。苦情0です! 新聞店から信頼される優良店員でした。

 少なくとも、今の確認4、5回だったら間違うことはなさそうです。そういえば、この4、5回の確認を思い出してみると、何回目の確認でも、新聞の名前は同じです。例えば、1回目の確認で「中日新聞」だったのが、2回目の確認で「朝日新聞」になったりはしてません。そういうことは一度もなかった気がします。となると、1回1回の確認の精度は極めて高いのかな?と思いました。そう思うと、1度の確認でも正確に配れるような気がしてきました。

 確かに、1回の確認だと、ポストに入れたところで不安でしかたないでしょう。でも、これだけ確認の精度が高いのなら、もしかして1回の確認だけでも正確に配れるんじゃないか? そうだ! きっと大丈夫だ!なんて思うようになってきました。というより、無理に思おうとしました。洗脳でしょうか? ほとんど無理矢理です。そして、こう思うようになれました。

「よし! それなら運を天に任せて、1回だけの確認でポストに入れてみよう!」

 そう思い次の日に、1回の確認でポストに入れました。すっごく不安でした。不安でしたが、先に書いたように、1度の確認でも正確に配れるような気がしてましたから、前よりは不安を感じずに、配達できました。不安になったら、こう思うようにしました。

「間違っても別にいいか〜。死ぬわけでもないし」

また、こうも思うようにしました。

「人間、間違いはするものです。ある意味間違わないのは人間じゃない」

 ものすごく、いい加減なことを考えるようにしました。いいことじゃないのですが、できるだけ無責任な人間になろうとしました。「絶対に失敗してはだめだ」なんて思っていたのですが、その正反対のことを何度も自分に言い聞かせることで、不安を消そう、和らげようとしたのです。何度も何度も言い聞かせ、不安に耐えたのですね。そうして、ほとんどの家の配達を1回の確認だけで済ませることに成功したのです。そして、翌日。

 恐る恐る新聞店へ行って、「苦情はありましたか?」と聞くと、「ないよ」とのこと。「やった〜!」と大喜び。すごく嬉しかったですね〜。確認は1回だけでも大丈夫なんだ!と大喜び。そして、意気揚揚と配達へ行き、1回の確認で配達しようとして、でもやっぱりできなくて苦しむのでした。世の中、そんなに甘くないということでしょうか? でも、1回の確認で大丈夫な時もありました。確実に僕の心の中で何かが変わったようです。










手に入れたもの

 その後の配達では、1回の確認で配達できたり、できなかったりでした。ただ、日が経つうちに1回の確認で配達できる場合が増えてきます。不安も以前よりは感じなくなってきたのです。不安を感じながら、それでも我慢することを繰り返すと、不安は弱くなっていくもののようですね。

 また、1回の確認で配達を繰り返し、苦情が来ないことを何度も経験していると、やはり自分の確認に自信が出てくるようです。苦情が来ないということは、自分の配達に間違いがなかったということです。当時の僕は自分の目よりも、他人の目の方が信じられましたから、苦情がないということは、自分の配達の正しさ、確認の正しさにお墨付きをもらえたということになります。自分の確認にお墨付きを毎日もらうわけですから、少しずつですが自信がついていったのでしょうね。

 そして確認に自信が出てくると、新聞をポストに入れた後に襲われる不安も弱くなってきます。不安が弱くなると、確認する時のプレッシャーも減りますから、今までよりも確認に意識が集中できます。不安が弱くなれば、確認も容易に出来るようになるようですね。こうなると、もう1回の確認で大丈夫になってきます。

 ここで油断すると、また確認の回数が増えそうな気がしましたから、毎回、確認をしっかりとし、そしてそのあとの不安を気をそらしながら耐えていきました。

そして! とうとう、確認1回だけで配達できるようになったのです。

 そして、今では配達の間違いをするほどに、確認しなくなりました。これはよくないことですが、失敗できるほどに確認に頓着しなくなったというのは、非常に楽です。その気になれば間違いは必ず起こさないという自信が今の僕にはあります。それも1回だけの確認で。今では、自分の確認に自信があるからです。

 また、今確認を1回で済ませられるようになった背景には、失敗を極度に恐れなくなったことも挙げられます。これは失敗を繰り返してきたこと。そして、その失敗が、僕が漠然と抱いていたイメージほどには、自分にダメージを与えないものなのだと、失敗を繰り返すことによって実感できたからなのでしょう。

 僕は、これまでの確認が1回で済むようになろうとする試みの過程から、確認の繰り返しから逃れる僕なりの方法を手に入れました。それは、確認の繰り返しから逃れる方法であり、僕だけに通用する方法なのだと思います。今までの過程から分かったものが、その方法です。僕は、その方法で配達以外の確認の繰り返しを、やめることに成功しました。それを次の機会に書くことにします。




一つの方法

 朝刊配達をすることによって、確認の繰り返しをやめるための方法を手に入れました。その方法は、僕だけに通用する僕だけの方法なのかもしれません。ですが、そうでもないかもしれないので、一応書いておこうと思います。ただ、やはり僕が成功したからといって、単純に他の人が成功するとは限りません。

 また、僕より重度の人にはいきなりこの方法をするのは厳しいものがあります。専門家の援助のもとで、いろいろ試みた方が懸命だと、僕は思っています。僕が一人でやったのは、精神病院などに偏見を持っていたからです。今はないのですが、当時は持っていましたから。無知だったのです。それでは、以下、単純ですが僕の方法です(汚れの確認を例として使いました)。


1.とりあえず確認をやめてから

 まず徹底して考えます。たとえば、掃除の場合だったら、汚れているような気がしてならないのでしょう。何度掃除しても汚れていると感じる。でも、実際はそんなことはないでしょうね。これほどまで何度も何度も、それこそ何十分、何時間も掃除していれば、綺麗になっているはずだ。綺麗になっているにも関わらず汚いとしか思えない。ということは、本当は綺麗なのに汚いと思い込んでいることだ。実際に綺麗であることを自分は求めている。だったら、もうこれで掃除する必要はないんだ。

 というように、確認をとりあえずやめて、このように考えます。元々確認の繰り返しが不条理なものだと思っていますから、自分でもこの考え方というのは納得できました。頭の中にあることを言葉にしただけですから。これを自分に言い聞かせてみました。

2.そのまま確認終了

 そして、確認をそのままやめてしまいます。もちろん、確認したい衝動が起こりますよね。しかも、激しく我慢しがたい衝動が起こります。この時にも、1で書いたようなことを考えます。「本当にもう汚くないのだから、掃除する必要はない」というように。でも、それでもだめでしょうね。それが分かっていてなお、確認してしまう。さらに不安に耐えきれなくなり掃除(強迫行動)をしてしまうのだから。

 そこで、1のように考えて我慢できそうもないのなら、確認したい気持ちを無視します。この無視というのは、「確認しないようにしよう!」とか「確認したくない!」などと思わずに、確認を意識から葬り去るような仕方での無視です。それが無理なら、テレビを見たり、テレビゲームをしたりします。それでもだめだったら、確認できないような状況にしましょう。例えば、走りましょう。遠くへ走りましょう。出掛けるのもいいですね。

 そうすると、もちろん不安な気持ちが残りますよね。「汚いままだったらどうしよう」っていう不安ですね。「確認したい! 綺麗だという確信が欲しい!」というように確認したいと強く強く思うでしょう。でも、やっぱり走りましょう。遠くへ走りましょう。出掛けるのもいいですね。不安というのは、時間が経てば徐々におさまっていきます。不安は一生続くものではありませんからね。

3.不安が消えたら

 不安が消えたら、「今までは、もう充分綺麗なのに汚いとしか思えなかった。今も、綺麗なのに汚いとしか思えないけど、とりあえず確認からは逃れられた」と気付くわけです。また、確認を何度も繰り返す方法によらずとも、確認から解放される方法があることに気付くわけです。そこで、ある程度時間を置いてから、また確認をするような状況に身をおいて、確認をやめてみましょう。1と2を繰り返すわけです。そしたら、また同じように不安は消えます。これを何度も繰り返していきます。


 僕は、この1、2、3を繰り返しました。単純に書けば、『我慢して確認をしないようにする』ということです。これを何度も何度も繰り返しました。実際に走ったりはしませんでしたけど、確認が出来ない状況に身を置きました。そして、我慢我慢。これを何度も繰り返すと、いずれは不安がなくなり確認する必要がなくなりました。ただ、今でも確認はします。たとえば、鍵をかけるとき、通帳を調べる時などなど、自分にとって本当に大事なこと、失敗が許されないことの場合は、もちろん確認します。数回ですが。ただ、不必要に多い確認はもうしなくなりました。僕は確認から、解放されました。

 もちろん、僕が書いた方法は誰にも適用できません。ここに書いてないようなことで、僕が忘れてしまったこともきっとしているでしょうから、単純にここに書いたようにしても難しいかもしれない。また、僕よりも重い状態の方の場合だと、この方法でひどく苦しむことになりかねません。この方法は、自らを不安の前にさらけ出し、不安の中で過ごすことで不安が消えるのを待つ方法なのですから。だからこそ、このような方法は専門家の援助のもとで行って欲しい気がします。

 最後に。どうも文章がいい加減なものになった気がします。確認と強迫行為をごちゃまぜにした文章。そして、文章の構成をまともに考えずに書いてしまったせいか、いろいろ不備があります。読みづらい文章で申し訳ありませんでした。ここまで読んでくれて、本当にありがとうございます。確認の繰り返しというのは、最近はいい治療法があるようですので、専門家の診断を受けてみたり、本を読んでみることをお薦めします。きっと、あなたに合った方法が見付かることでしょう。あなたの症状が軽快し、いずれは治ることを祈っています。






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