2.何度も確認、確認ばかり(2)・・・確認強迫


 私は今でも確認はします。預金通帳などは、未だに100回近くは確認しています。ですが、もうこれだけです。他のものについてはもう確認はしていません。配達の際も一切しません。一度見たら、二度繰り返しません。今や、配達ミスが出来るぐらい、確認にとらわれなくなりました。また玄関の鍵をかけるときも確認の必要はありません。ガスの元栓も大丈夫。ほかのこまごまとしたものも、預金通帳以外はすべて大丈夫になりました。

 ここでは、確認から逃れるために何をしたのかについて、いろいろ書いていくつもりです。ここで書くことはただの体験談ですので、ただの読み物です。また、ある種の用語は極力排除してあります。潔癖症のところでもそうですし、ここでもそうです。不潔恐怖洗浄強迫とでもいいたいところですし、確認も確認強迫としたいところですし、他にもいろいろ言い換えたいところですが、こういう言葉は専門家や患者さんはよく知っていますが、一般的ではないような気もします。また、当時の私はそんな言葉と縁遠かったので、ここではより一般的な表現を使うことにしています。もっと言えば今の私もやっぱり縁遠いので使わないことにします。

 治療活動を細かく書くかもしれませんが、それもまた本の知識、医師の診察とは一切関わっていない当時の私が、苦しみながら試行錯誤し、実行していったものにすぎません。私の治療活動と症状がなくなったことの間に、因果関係があるとは思いません。ここで書いていこうとしている文章は、あくまでも当時の私の考えや行動を可能な限り再現する試みの結果です。



どうやって治そうかな〜?

 何かをした場合、それが出来たことを確信しているはずです。そうじゃなければ、出来たかどうかの確認をします。でも、そういうことをする人はそうはいません。ただ、玄関の鍵をかけるときなど、失敗すると困る物事の場合は、確認することもあるようですね。でも、それはほんの数回のこと。

 ですが、僕の場合はそうはいきません。何度も何度も、確認ばかりしてしまいます。それでは、他の人と僕とは何が違っていたのでしょうか? そのことについて当時考えていました。

 ですが、さっぱり分かりません。まあ、それでもいいか〜というのが当時の僕の心境でした。というのも、要は必要以上の確認がなくなって日常生活が正常になれば、それで満足なのです。なにが原因でこうなったかとか、そういうことははっきりいってどうでもよくなってました。とにかく、自分でいろいろ試してみて、その中でも最も効果がありそうな方法を採用し、それを繰り返すことで、少しでも確認を減らそうと思っていたのです。これからその方法を列挙していきます。










どんな時に強迫行為がやめられる?

 やっぱりこの確認がてっとり早くなくなってくれたらな〜と思いますよね。そこで! 今すぐなくなれ〜と願いを込めて、いきなり確認をやめようとしました。でも、やめることはできませんでした。当たり前ですよね。やめることが出来ないから困ってるのに。

 ところで確認を繰り返すとはいっても、永遠に繰り返すわけではありません。確認の繰り返しは、時間がかかっても、毎回ちゃんと終わってました。では、その確認の終わり方はどういうものだったのか。それは、以下の4つでした。

1.何度確認を繰り返しても、ある行為が確実に出来ていたとは思えないので、「もうどうでもいい!」とやけになって、確認をやめてしまう。

2.確認の回数の多さから、「これだけ確認したんだから、確実に出来ているのでは?」というように、確認の回数から、自分の行為の確実性を推測して、自分を納得させることで確認をやめる。
  
3.何度も確認を繰り返して、その行為が確実に出来ていたような気がした、その時に確認が終えられた。

4.他の人にちゃんと出来ているのかどうかを確認してもらうことでやめられた。

 これが、僕の確認の繰り返しが終わるケースでした。僕は、この中にヒントがあると思い、あれこれ考えてみましたが、やっぱり分かりません。そこで、とりあえずこの4つのケースを調べてみようとしました。ただ、考えてみると、1のケースはやけになる必要があるので、これは意図的にやるのは難しい。そして、4のケースは人がいなければ出来ない方法ですし、人がいつも一緒にいるわけでもなく、また、この方法に頼れば人がいないと何も出来なくなってしまいますので、2、3のケースだけを調べてみることにしました。










3のケースを調べてみよう

 まず3のケースから、うまいこと確認がやめられる方法が見付からないものかと思い、調べてみることにしました。何の確認で調べるのかといえば、毎日やってる新聞配達です。ところで3のケースは、

3.何度も確認を繰り返して、その行為が確実に出来ていたような気がした、その時に確認が終えられた。

 というものでした。少しわかり難かったかもしれませんので、ここでちょっと説明します。僕が何度も確認すること、何度確認をしても自分がちゃんとやれた(例えば鍵をかけられた)と確信することができないこと、そして、ちゃんとやれたとは思えないから不安になり、確認を繰り返すのだ、ということを「何度も何度も確認ばかり」でお話してきました。

 ですが、その不安の度合いが一度一度の確認によって、少しずつ違っている場合があるのです。そのことはまだお話してませんので、ここで少し話します。不思議なことに何度か確認してると、「あ〜、だめだ〜」って思うような不安もあれば、「だめなような気がする」というような小さい不安もあり、「ちゃんとできたようだ」というようなほとんど不安を感じない場合もあったわけです。確認をして不安になったとしても、不安の度合いは、確認のたびに違っていたような気がします。3のケースとは、このような小さい不安の時に確認がやめられた、という意味だというわけです。

 その小さい不安の時の確認のことを調べてみようと思いました。配達する時の新聞の名前の確認の時です。新聞を閉じたり開いたりして、名前を見たり見なかったりしながらの確認で調べてみることにしました。すると、やはり僕の場合は不安の大きさには大小さまざまあることが分かりました。

 それなら、小さい不安の時にはすぐやめられるのか?というと、そうでもなかったようです。いくら小さい不安しかない時でも、あるいはほとんど不安を感じないような時でも、確認の回数が2,3回の段階の時には、やめることができませんでした。やはりある程度、最低でも2,30回の確認を済ませてからでないと、やめられなかったのです。

 さらに、ややこしいのが、だからといって、確認の回数に反比例して不安が単純に小さくなっていくわけでもないということです。すなわち、10回目の確認による不安が小でも、90回目の確認による不安が大だということがままありました。

 このようなことを考えていて気付いたのが、確認の回数と不安の大きさは単純に反比例するものではないにしても、確認の回数が多ければ、不安がより小さいかほとんどない状態になったときにはやめられるということ。つまり、このケースについて調べた結果、僕が確認の繰り返しをやめられるのは、

「多くの確認を経た後に訪れた、より不安のない状態の時」

である、ということが分かりました。




3のケースを調べてみて、感じたこと

 「多くの確認を経た後に訪れた、より不安のない状態の時」

 これが確認をやめられる時でした。ですが、この状態を意図的に作ることは不可能でしょう。なにしろ、確認の回数と不安の大きさは単純に反比例しないのですから。いつ、そのより不安のない状態が訪れるのかは分からないのです。また、この方法は不確実でもあります。これは自分の意志でやめられるというよりは、より不安がない状態だからこそ、確認の繰り返しをやめることができただけなのです。

 ただ、このことを知って、確認の繰り返しをなぜ続けるのか、ということについて再確認できた気がしました。また、確認をなくす方法も知ることができました。ようは不安がなくなればいいのだと。不安をなくすことさえ出来れば、確認する必要はもうなくなるのだから。単純なことですが、そんなことも分からないぐらい、当時の僕は疲れていたのかもしれませんね。

 ただ、やはり不安をなくす方法については分かりませんでした。悲しいかな、このケースからは、確認の繰り返しの再確認しかできなかったことになります。ただ、選択肢が一つ減ったということは、答えに一つ近づいたことだ! などと、無理に自分を奮い立たせて、今度は2のケースを調べてみることにしたのでした。










2のケースについて考えてみました

さて、お次は2のケースです。2のケースとは、

2.確認の回数の多さから、「これだけ確認したんだから、確実に出来ているのでは?」というように、確認の回数から自分の行為の確実性を推測して、自分を納得させることで確認をやめる。

というものでした。そこで、このケースについて考えてみることにしたのです。

 このケースについてみても、自分の行為が確実に出来た、成功したというのは、何度確認を繰り返しても分からなかったようですね。というのも、やめられたのは、「自分の行為の確実性を推測したから」なのですから。あくまで確認の回数の多さから確実性を推測したにすぎず、自分の行為が確実に行われたなんて思っていないのです。「きっと、確実に出来てるだろう」という感じでしょうか。

 自分の行為が確実に出来たと思えない。何度確認しても、そう思えない。目の前にある行為の結果を見れば、確実に出来ている。でも、確実に出来ているとは思えない。だから、確認がやめられないのです。でも、このケースを見ると、気付くことがあります。それは、確認では自分の行為を確実にこなせたなんて思えないのですが、確認の数から確実性を推測するのなら、確認をやめられるということ。このことを使えば、ある程度意図的に確認をやめられる、ということです。

 と、ここで一つのことを思いついたのです。どうも僕というのは、自分の目が信用できないんだな〜と。ようは自分の目に自信がないのです。自分の目で見た結果というのは信用できない。だから、何度確認しても納得できないのだと。これは目というよりは、自分自身に自信がないからなのかもしれませんね。何が原因なのかは、どうでもいいのですが、とにかく不安なのです。きっと、「自分は何かをちゃんとできるはずがない」とでも思っているに違いないと、僕はその時思いました。ただ、そんなことよりなにより、確認がなくなればいいのです。

 僕は、とりあえずこの方法によって、確認の繰り返しから逃れようと思いました。この方法だったら、ある程度意図的にやめられるからです。また、この方法だったら、確認の回数を徐々に減らしていくことも可能なような気がしたのです。最初は、100回目の確認でやめてみる。しばらく試してみて、できるようになったら、次は90回目でという風に。確認を自分の意志で意図的にやめられる方法で、思いつく方法は、これしか思いつかなかったことですから、、僕はとりあえずこの方法で、確認の回数を可能な限り減らしてみようと思いました。最後には、確認の繰り返しとは無縁になれることを願って。




2の方法でやめてみよう

 僕は早速、新聞配達の時に2の方法で確認の繰り返しをやめてみることにしました。とりあえず100回確認したら、その時点で確認はやめて、新聞をポストに入れることにしました。不安だろうがなんだろうが、新聞を無理矢理にでもねじこもう! そんな力強い決意でもって、ことにあたろうとしたのです。

 そして、確認開始! 相も変わらず何度も何度も繰り返します。そして、とうとう100回目の確認! 「よし、ここでやめるぞ!」と思い、ポストに新聞を入れようとしたのに、やっぱり入れられない〜。仕方ないので、さらに確認を繰り返し、「あ、今なら大丈夫だ」というぐらい不安が小さい時にポストに入れたのでした。

 このことで知ったこと。それは、回数を決めてその回数になったら必ず確認をやめるというのは、やめる時にかなりの気合というか思いきりというか、精神力というのでしょうか。そういったものが必要だな〜ということです。「よし、今度は気合を入れてやめるぞ〜!」と決意し。再び、確認を開始したのです。

 でも、やっぱり失敗。何度も失敗。失敗の日々なのでした。でも、何度もやっていると、気合の入れようが違ってくるのでしょうか。たまに100回でポストに入れられるようになったわけです。不安が大きくても、気合を入れて無理矢理入れられるようになったのです。自分で「やめる!」と思い、その通りに出来たのが、すっごく嬉しかったのを憶えています。

 ただ、不安が大きい時に無理矢理入れた場合には、一つの問題が出てきます。それはポストに入れた後の大きい不安です。確認したいという強い気持ちです。ポストに入れてもなお不安が残っているわけですね。ものすごい執念なのです。これをなんとかしなければ次の配達先には向かえません。これはもう、潔癖症の時と同じようにしました。その方法は、確認したいという気持ちを、ただひたすら無視すること、気付かないようにすること、目をそらすことです。

 ただ、これは「確認のことは忘れよう、忘れよう」と必死で自分にいい聞かせるわけではなく、頭の中をからっぽにするような感じです。ぼ〜っとするような感じです。何にも考えないのです。そうして、次の配達先まで行くわけです。それでも、「確認したい」と思ってしまうものですが、そこはなんとか我慢します。不安がなくなるまで耐えるのです。とにかく、次の配達先まで行けば新しい確認で手一杯になるのですから、そこまで耐えるわけですね。

 このようにして、100回ちょうどの確認終了が何回かに1度は出来るようになったら、今度は90回、80回・・・・というように、徐々に確認回数を減らしていったのです。随分と日数がかかりましたが、なんとかかんとか10回で確認をやめられるようになったのでした。そして、ついに確認1回でやめようと決意したのです。






|何度も確認、確認ばかり(1)|何度も確認、確認ばかり(3)|強迫神経症について|ホーム|